日高邸跡

明治の偉人日高誠実(のぶざね)は、明治19年、50歳になって陸軍省を辞し、官有地229町歩を無償で借り受け、理想郷梅ヶ瀬を建設すべくこの地(当時の地名で市原郡白鳥村西沢)に居を移しました。 そして近隣十ヵ村の人たちの協力を得て、植林・養魚・畜産等に力をつくすかたわら、梅ヶ瀬書堂を開校し、近郊在住の師弟に国漢・英数・書道・剣道等を教授し有為な人材を育成しました。 従学する人々は市原・君津・長生・山武・夷隅の五郡(当時)にわたり、数百人に達したといわれます。 しかし、深山幽谷の地形はあまりにも地の利が悪く、台風や豪雨のたびに山は崩れ、川は埋まり、根付いたばかりの梅樹も根こそぎ倒され、養魚場も荒らされました。 誠実は私財を投じては復興に精を出しましたが、志は次々についえ、大正4年近隣の人々から惜しまれながら80歳の生涯を閉じました。 梅ヶ瀬書堂跡は往事を偲ぶよすがもなく、この地に日高誠実がいたことを知る人さえ少なくなっていましたが、その志を後世に伝えるため、有志により大福山休憩所近辺に顕彰碑の建立を計画したところ、多くの人々の賛同があり、平成11年11月23日、書堂跡、大福山展望台、養老渓谷駅前の3箇所に顕彰の碑が建立除幕されました。
※この文章は「日高誠実先生顕彰碑建立計画に関する趣意書」より大意を転載しました。
 


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